え?マジで!?駅伝の仰天昔話!【替え玉、コース間違え】

2019駅伝

箱根駅伝にはさまざまな伝説があります。

驚きの逸話の数々をどうぞ。

2011年のコース間違え【寺田交差点】

割と記憶に新しいのが元JR東日本ランニングチーム所属の寺田夏生(てらだ なつき)選手。現在27歳。

当時國學院大學1年生にしてアンカーを任されていたスーパールーキーは、コースを間違えるというミスをしてしまいます。

13位でタスキを受けた寺田さんは一時は8位まで順位を上げて、シード権争いを繰り広げる力走を見せていました。

そんなとき、ゴールまであと120メートルというところで、前方のテレビ中継車につられてコースを間違えるという大失態。

およそ30メートルもの距離をロスするということになりました。

「あのときは終わったと思った」

寺田さんは、なんとかその後も力走をみせて、ギリギリ10位に入るということで事なきをえました。

ゴールを過ぎても、寺田は何位だったのかわからない。両脇を抱えてくれた先輩に、恐る恐る聞いた。「自分、何位ですか?」「10位だよ!」

人力車夫を替え玉に【1925年箱根駅伝】

箱根駅伝第6回大会(1925年)では選手の代わりにタスキをもらった人力車夫が走り、こともあろうに4人抜きをして沿道を沸かせたと言う現在では考えられない漫画のような話がありますが

残念ながらその大学は翌年の出場辞退を余儀なくされました。

1925年1月6日に開催された箱根駅伝の往路第2区を走った前田喜平太(元警察官)が藤沢の中継所に到着した際、本来第3区を走るはずの選手とは別の人物が待っていた。

前田は襷を繋いだが、このランナーが追い抜きの際に「アラヨット!」という声を上げたことで人力車夫であることが露見した。



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